息子の会社異動が決まって、単身赴任先神戸支社のデスクにあった
私物が自宅に戻ってきました。
整理していると34歳の定期健診と35歳人間ドッグ検査報告書が出てきました。
福岡勤務の時の物でした。
転勤は
福岡 ⇒ 埼玉(自宅) ⇒ 大阪(2年後の40歳でアルコール依存症&肝硬変)
人間ドックの総合判定は【要医療】
・脂質=E要医療
・便検査=D要精密検査
・肝機能=D要精密検査
・腫瘍マーカー=D要精密検査
アルコール性肝障害・アルコール性脂肪肝・AFP高値・脂質異常症
上司や同僚に酒豪が多く、3次会4次会も当たり前だったと話していた福岡時代。
福岡から自宅に戻ってきた時に「ん?人が変わった?」という違和感。
自宅での生活は多少私が食事、運動管理などをしていました。
人間ドッグの結果報告書は福岡時代の物だから、普通に考えれば
自宅に置いてあるのが自然なのに大阪支社のデスクの中にしまっていた・・・
もしかしたら自宅に置いていたら、それを見た私に酒の飲みすぎを注意されたくなく
て、故意に持って行ってたのだろうか?
福岡時代からすでに酒が一番になっていたのだろうか?
Twitterで当事者さんたちにお聞きしました。--------
「・・・数値は非常に悪かったのですが飲めてる状態に楽観視をしていました
数字は故意に隠していましたし、そもそも見られたら嫌ごと言われる、要因としか考えていませんでした」
「飲んでた身からするとやはり言われたくなくてというのはあると思います。」
「検診結果はあまり気にしません
少しはマズイなぁ〜って思うけど、飲みます
誰から非難、批判、助言されても、飲みます
お酒なんていつでもやめれるコントロールできる
そう思っていました。自分の体、自分が一番知っているって
真逆ですネ。アルコール依存症の怖さ認めたくないんです」
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皆さんの話を聞いて改めてアルコール依存症の恐ろしさを思い知りました。
息子もまだちゃんと働けていた6~7年前から
体が悪くなっていることもわかりつつも、すでに
酒を飲むことをセーブできなくなっていたんですね・・・
そして、福岡から自宅に戻ってきた時に「ん?人が変わった?」と感じた違和感は、
もうすでに本来の長男ではなくなっていたんだ・・・。
そういえば福岡から帰ってきた後には
「自分は飲める方だから」と
酒が強いことを自慢するような言葉をよく口にするようになりました。
2020年10月末日
1回目の入院後の再飲酒は長男を精神的にも肉体的にも異常な状態にしました。
父親の居住地福岡に行くと決めたので、自宅東京から通う予定だったHクリニックに
報告し、医者の前で長男が言った言葉を思い出しました。
「福岡の父の所に行きます。
いやぁ~福岡はいい所だった。」
「アルコール依存症は飲めるなら手段は選びません
依存症の脳はそんなもんです 」
・・・Twitterでつながった当事者さんが言った言葉です。
【お父さん】と一緒に暮らすことを楽しみにしていたわけではなく、
【福岡】をなつかしがったのでもなく、
【 アルコール依存症でも堂々と一緒に飲める飲酒肯定してくれる、お父さん】と一緒に
【酒を思う存分飲んだ至福の福岡に行く】ことになって
思わず出た言葉だったのだろう。
酒でつながっているだけの哀れな父親だ。
(※個人の感想です)