息子がアルコール依存症になった日・・・回復を信じて

【第二弾】息子が アルコール依存症になって別人に。そして第2のアルコール依存症元夫(父親)に苦しめられた実録

2020.4新型コロナウイルスで最初の緊急事態宣言が出た頃に長男は重度のアルコール依存症を発症した。相談した元夫(父親)も程度は違えどアルコール依存症だった。

【第一弾】息子がアルコール依存症になった日・・母の記録

●2020.6.24~9.17単身赴任先(大阪)でアルコール病棟に3か月の入院。退院時に自宅埼玉へ。
●2020.9.17~11.6私の居住地での(埼玉)通院、再入院先探し。
●2020.11.7父親は「入院通院よりも昼間の時間をどう過ごすかが一番大事」と主張し、
飲酒肯定し、私を全否定して 二人で父親の居住地(福岡)に行く。
●2020.11.13福岡の病院で初診で「アルコール性肝硬変」と診断されその日に入院。
●2020.11.13~12.15内科に1か月の入院。退院後すぐに再飲酒
●2021.1.28~4.20肝硬変&依存症の悪化で閉鎖病棟に3か月入院(福岡)
★長男の信じられない症状に悲しみ★元夫の信じられない言動に苦しんだ日々でした。

【第二弾】世の中は新型コロナウイルス終息の兆しもなく3度目の緊急事態宣言中です。
長男は今も元夫の下で入退院を繰り返して暮らし、未だ断酒の意志になっていません。

★このブログ本を福岡の主治医に送ったのをきっかけに、元夫の大嘘判明!2021.9.30★

【第三弾】2022年2月~世の中は、いったん激減した新型コロナウイルス感染者が、
オミクロン株の発生によって再び激増しています
【第四弾】2023年4月~記


●元夫の異常な否定は「自己愛性モ●ハラ者」>「アルコール依存症」⇒一切接触禁止命令 #NPD被害者の会
●長男は2022年2月23日埼玉に帰宅、断酒宣言⇒7月13日復職!
★8回もの入院をくり返し、家族とはの「気付き」と、死をも意識せざるをえなかった「底付き」を経て一応終息★
(このブログは仮名です)

【第三弾・F-2】🎍2022年お正月の初詣「何が狂ってしまったんだろうか・・・」

2020年~2022年お正月を振り返ります。

お正月は実家の母(92歳)の家で過ごし、近所の神社に初詣に行くのがここ数年の恒例です。

🎍2020年1月2日

長男はアルコール依存症発症前でした。

酒を飲んでも顔にも出ない、けっこう飲んでも酔っ払いのイメージもなかった人だったのに、この時神社の階段でふらついたのが印象に残っています。

🎍2021年1月2日

私ひとりの初詣でした。

「優一をどうかお救いください」初詣で初めて泣きながら祈りました。

長男は父親の下、福岡で1回目のお正月でした。

私は「f:id:sakenomitama:20220207161408j:plain優ちゃ~ん」と呼びかける母の動画を送りました。

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f:id:sakenomitama:20210206071709j:plain「もう節酒じゃ無理なのは明白なのに!

『正月だから飲む』なんてこと優一にはもう通用しないとあれほど言ったのに!

なんだよ!?『いい感じ』って!?(怒)」と心の中でつっこみました。

🎍2022年1月2日

長男は父親の下、福岡で2度目のお正月。自ら入院して酒のない年始を過ごしています。

父親は一人になって気兼ねなく酒飲んでいるでしょう。長男の入院が何回目かも把握していないだろう。「今の優一には入院とかじゃなくて昼間の時間をどう過ごすかが一番大事」とか自信満々で連れて行ったことも忘れてね!都合の悪いことは「覚えていない」で済ませるから。でもこのブログにはしっかり音声まで記録が残っていますよw

私は今年の初詣も一人でお参りでしたが去年の感情とはだいぶ変わっていました。

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長男が20歳の大学時代、この実家で暮らし、父と母に世話になっていました。

飲めるようになった頃からお酒に強くて、一緒に飲むことも多かったです。

子供が二十歳を迎え、一緒にお酒を飲めるようになったことは成長の証と感じ、

母親としてとてもうれしく、感無量であったことをはっきり覚えています。

就職してからは何かの記念日にはスーツを着ておしゃれして

一緒に飲みに行くこともあって、いつも楽しいお酒でした。

長男は呑んでも乱れることも一切なく・・・

それが・・・何が狂ってしまったんだろうか・・・😢

私の方が元夫の事で病んでいたので「飲まなきゃやってらねぇ~や🍷(@_@)」

状態で、眠れなくて、睡眠薬と一緒に飲んでラリってしまうこともあって、

かなり危険な呑み方をしていた時もありました。😓

そして寝酒も毎晩になりました。でも、今は何の苦労もなく止めた。

止めたというか、長男を思うともう飲めなくなりました。

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去年と同じく、母用と長男用と私用の3つのお守りを買ってきました。

f:id:sakenomitama:20220202111259j:plain ←母が書いた色紙f:id:sakenomitama:20220206190259p:plain


母は少しづつ痴ほうが進んではいますが、まだまだとてもしっかりとしていて

感心します。きれいな字も書きます。

優一は母にとって自慢の初♂孫です。

優一が横紋筋融解症からアルコール依存症になって単身赴任先の大阪で

長期入院したことは2020年に簡単に話してあります。

今もその時のことを思い出すと泣きだします。

退院してまだ大阪にいると思っています。「優ちゃんは治った」と思っています。

その後父親の福岡に行って、肝硬変にもなって、7回目の入院をしていることは

全く知りません。説明しても忘れてしまうようです。

優一が年末年始を味気ない病院の食事を食べて過ごしていることを知りません。

母と私たち3姉妹が久々にそろっておせち料理を食べた2022年お正月でした。

お酒は無しで・・・

 

「覚えていない」で済ませる元夫のための追記----------

f:id:sakenomitama:20210202073016p:plainf:id:sakenomitama:20220207205159p:plain「本当」はどっちかが嘘じゃないと成り立たない事!

・認知症と認定された92歳母より、記憶がなくなるのが重症ってやばいだろ!

アルコール性認知症の症状,原因と治療

・以下【記憶を取り戻す方法】です。私が今やらせている方法と同じ。

1.記憶がある場面から、時間に沿って思い出してみる(私の記録ブログ記事)
まずは、記憶を必死に思い出すようにしましょう。

そのため、詳しく具体的に思い出すようにしてください。効果的な方法として、時間に沿って思い出すようにすることです。

そうすると、前後の記憶などからなくした部分を思い出しやすくなります。

2.関連しているものに触れてみる(自分で書いたアリバイFAX・自分のしゃべっている音声)
人の記憶というのは何かに関連付けて覚えるものです。昔のことを思い出すということが良くあるのはそのためです。その時に関連したものに関して触れてみましょう。そうすれば、思い出すことができるようになるでしょう。