長男が 1年4か月ぶりに父親の福岡県から自宅埼玉に帰ってきました。
ほほがげっそりとこけていました😢
そして家に入るなりこう宣言しました。
「3月31日のMRI再検査まで、甘いものとたばこで『断酒する』」と。
(イラスト:次男)
福岡で7回もの入退院をし、
直前まで「帰る」「帰らない」何度ものドタキャンの末でした。
2月3日の退院後すぐにまた飲酒しているようなので
【2.4】
【2.5】
8:29
8:38
「埼玉に帰る」ではなく→「行く」と言ういい方にこだわっていたり、
言った数分後に迷う気持ちが見えたり・・・
【2.10】
「具合悪い=ツギ行く・・・」
翻しは慣れたよ ┐(´∀`)┌ヤレヤレ
この日は通院予定の木曜日。退院後最初の通院はドタキャンしました。
15日火曜日に変えてもらったと言い訳しながら。
【2.13】長男は福岡で42歳の誕生日を迎えました。今年はプレゼントは無しで、
生まれた同時刻にメッセージとイメージ画像だけを送りました。
「昭和55年2月13日午前9時51分。
良く晴れた寒い朝、💩と共にその子は生まれた。
自分の体内から出てきた瞬間に、私は母になった。
母は・・・真っ白い雄大な雪山の風景が浮かんだ。💩💩💩」
とりとめのない話をしました。いろいろ話しているうちに最後、
長男「勝ち負けで言ったら、お母さんには負けた」と言った。
つ、ついに私の母親としての愛が・・・いや執念が(笑)心に届いたのか?!
【2.15】けれど、今日通院日のはずが「誕生日を迎えたのにシャキッとせん」
と言って・・・通院もまたドタキャンか?
昨日の14日に通院して一応胃カメラ検査することになったとか?
電話の声は、また気持ちが逆戻りしたように感じました。
【2.16】
コロコロ変わる気持ちにさすがに「もう知らん」の境地になって
帰ってくるかドタキャンするかを次男と賭けました(笑)
私「今度こそは帰ってくる。に賭ける」
次男「いいや。ドタキャンするのがアル中。ドタってこそアル中。ドタらなきゃアル中じゃない。10秒前までが期限」(爆笑)
【2.23】
夕方7時頃ついに長男は帰ってきました。次男との賭けは私の勝ち。
(イラスト:次男)
玄関前に着いた長男を「内カギかけて締め出し」で軽く仕返しもできました。(笑)
そして部屋に入って早々に「3月31日まで断酒する」と宣言。
それから今日までの毎日は、
7回もの入退院で毎回1日目から再飲酒していたのがうそのように、
何もなかったかのよ~に、平然と(そう見えます)断酒生活をしています。
前々から「帰って来ても、お母さんができることは食事の世話だけだよ。」
と言っておきました。
でも私も次男も、すぐに断酒するとは思ってもいなかったですから、
【アルコール依存症家族の心得】として
「答えを出すのはいつも相手だと心得ましょう」
「先回りして考えすぎないように気をつけましょう」などをパウチして
自分に言い聞かせて、長男との生活を待ち構えていたので、
まずはうれしい拍子抜けでした。
一方長男の方も拍子抜けだったようです。
家に帰ってお母さんが泣いて過ごしているのを見るのは辛い(うざいw)
と心配していたようで・・・それが
こんなにも次男とふたりで平和に笑って暮らしているとは思ってもいなかったようです(笑)
でもね、昭二とお母さんはそうなるまでには、優一のことでいっぱい悩んで、苦しんで、考えて、共に乗り越えてきたんだよ。いろいろと。
【断酒生活】
・食事はよく食べてくれて「おいしかった」「ご馳走様」と言ってくれるようになったのがうれしい。
・次男の面白話やイラストで心からの笑顔が見られるようになったのがうれしい。
・病院探しや身の回りの事を自分でせっせとやっているのがうれしい。
・自助会やTwitter断酒部には結びつかないけど過ごし方を自分で模索してやっています。
・ブログを読んでくれて、父親がみっともないいい訳や嘘に終始していた事、
発症当時からずっと、アルコール依存症に対する異常なまでの否認、
私に対して敵意を持っているとしか思えないくらいの否定の言動。
その信じられない言動に苦しんで苦しんで気が狂わんばかりに苦しんできた事、
それをわかってくれたのが何よりもうれしく、
「みりん男」の話題は笑って話せるようになってほっとしました。
それでも長男のアルコール依存が
【治った】わけではないのだ、と思うとふと悲しくなります。
まだ少しいい訳っぽいことも言うし、
「今のところ期間限定の断酒。3月31日のMRIが問題なかったらまだわからん。
(また飲むかも)」
「もし歓送迎会とか友人との会食とかがあったら飲まないのは無理。」
とはっきり言っています・・・┐(´д`)┌
🌸
🌸
🌸
「お母さんには負けた」という言葉・・・
心の【気付き】が確かにあったのでしょうけれど、
「断酒宣言」は・・・
長男の体が【死】をも意識せざるをえないところまでいってしまったからだと思いました。
2021年末から2022.2.3まで福岡で7回目の入院。
その後、2月14日から8回目の再入院をしていたのがわかりました。
二人はそれを言わなかった。
元夫は真っ赤な嘘までついていた。
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何度も入退院を繰り返し、肝臓を治しては再飲酒をしていることを、私は元夫に猛攻撃をしていました。「あんた、優一が何回目の入院かすら把握していないだろう?!」
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【2.10】
夜二人で酔っぱらって電話をかけてくる。
長男「面白いからお父さんに代わっていい?」
元夫「Hクリニック紹介状紛失の解決金同意書は今日投函したよぉ~。
優一は埼玉に帰る。あとはそっちでちゃんとやれよ。」
電話じゃやっぱり高圧的になるモラハラ気質元夫!
やっと埼玉に戻せるからって浮かれて一緒に飲んでいるのか!?別れの盃かよ?!
Hクリニックの紹介状を紛失させたこと微塵も反省していない口ぶり!
1年以上付き添った挙句が『みりん男』のくせに
「そっちでちゃんとやれ」だとぉ~!?
どの口が言えるんだ?の最上級野郎!!!怒怒怒怒
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常々、元夫は「通院には必ず付き添っている」と言っていたので
【2.15】
「いるかな?電話」で確かめてみると会社にいた。
やっぱり通院に付き添っているかのように
嘘をついていた!
しかも14日にはすでに入院していたのに!
【2.16】
高額医療費限度額認定証の更新手続きを私がしていたので
入院していたことさえ言わずに嘘をついていた!!!
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【2.21】
「15日にF先生にお会いして話したことを明日FAXで送ります」
「あんたは嘘ばかりつくし、記憶も曖昧だからもう報告しなくてもいい!」
と言ったのに送ってきました。
いつものようにFAXで。
いつものように言い訳けがましい文章で!
いつものように丁寧な自筆いい訳文章で、自ら墓穴を掘るスタイルwww
【2.22】
だとさ?!?!
そ・こ・は!!!まず!!!
「嘘をついて申し訳ありません。すべて
あなた様の言うとおりでしたm(__)m」
からだろうがぁ~!!!💣怒💣怒
私FAX「お お う そ つ き」
⇒
【2.23】
福岡の主治医F先生がA4用紙4枚にも及ぶ、診療経緯と情報を事細かく書いた紹介状を優一に持たせてくれていました。
・親父の報告は、症状が出た日も、症状についても嘘をついていた。超過少報告!
「吐血」を言わないところとか見え見え!
・父親はとっくに通院付き添いもしていないし、退院後の家での生活を注意して診てもいないのが露呈した。責任放棄!
(紹介状一部)
とにかく元夫は「嘘をついて申し訳ありません。」「私が間違っておりました」
その一言が言えない人間だ。
つまり、
「『優一は埼玉に帰る。あとはそっちでちゃんとやれ』って
言っちゃったけど・・・飲んでたら優一また悪化しちゃった・・・
すべてかーちゃんの言うとおりになった。見透かされた Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)
でも、認めたら負けだ!とりあえず『わかりました』『入院したら知らせる』
と言ってごまかそう。
優一、血ぃ吐いてまた入院しちゃった。でも俺は謝ったら死んでしまう病気だ。
しれ~っと結果報告だけしてやり過ごそう。」
ってことです。紹介状を1通抜いて隠した時と同じ!
しかも入院してから1週間後にFAXを送ってくるところまで同じ!
1週間の間にできる限りの責任逃れを考えながら書いてFAXしたのがよくわかる。
今回は優一の生死にかかわることだ!
それでも責任逃れのいい訳をする。何が何でも私の言うことを認めない。
何が何でも自分の非を認めない。恐ろしい。
さらに追及したら「まだ死んでない」
くらいのいい訳を言いそうだ。この男は!
今、紹介状を抜いて隠したことを「覚えていない」で逃げようとしているので
「あんたは酒飲むと記憶失くして無意識で犯罪行為をするタイプの酒飲みなの?(Dr.広瀬の動画)それかアルコール性認知症なの?それともブログ読んだらやった事思い出した?」
と問うと、
この問いを最後にずっと黙秘を続けている元夫。
その先は口が裂けても言わないだろう。そういう性格。
(-ω-)/🌸「先生!情報によると特に「先生」とよばれる人は頑として自分はアルコール依存症と認めないようで~す」
元夫先生は
アルコール依存症の実態からも、自分の非からも目を背け、
一生自覚しない反省しないままで人生終わる人。
A先生やF先生に指摘されたのを知っても、息子達に指摘されても自覚しない。
私が言えば言うほど反発する。逆のことをする。
私は離婚しているから、こんな自分本位親父の人生など関係ないけど、
息子達に迷惑かけないでください!
「俺の考えが誰よりも正しい」とばかりに他を批判して福岡に長男を連れて行った。
2020.11.7
「アルコール依存症」のみだった診断名を今、
(紹介状一部)
こんなにも増やして優一を埼玉に戻したね。
だいじょぶ。まだ出番はあるよ!
父親の責任は一生終わりませんから。誓約書通り。