FAXラインと電話での会話とは別人でした。
FAXラインでは丁寧な名前呼び、電話では必ず高圧的に「お前」呼び。(モラ夫あるある)
そして、「お前だっておかしいよ」(モラの常套句)
(自分の事はFAXライン『私は、私が』⇒電話『俺は、俺が』)
Twitterでいろいろなモラさん達を見てきましたけど、
元夫は「そんな人には見えない」の代表格だと思います。
見た目も人柄もとても穏やかです。
若い人を教育する職業で、生徒からの信頼も人気もそれなりにあると思います。
私もかつては生徒の立場でしたので・・・年は9歳離れています。
他人に対してはもちろん、父親としても二人の息子に
暴力をふるったこともなければ、怒鳴ったことも1度もありません。
だからもちろん昔の楽しい思い出もたくさんあります。
けれど、長男の病気発症で相談して再連絡を取るようになってから、
私の言うことを異常なまでに否定する、
異常なまでに連絡事項や頼み事を無視をする、逆をやる・・・
離婚しても私へのモラハラが変わっていなかったのがわかりました。
だから大昔のこととはいえ、
結婚後に豹変したモラハラ言動や、顔、頭を集中的に殴ってきた時の
恐ろしい記憶が・・・目を閉じると・・・
その場面が鮮明にフラッシュバックするようになりました。
1対1の時だけです。第三者がいる所では怒鳴られた記憶もありません。
私と結婚する前に他の女性に対してやったことがあるかはわかりませんが
団塊の世代の九州男児、かなりな男尊女卑思考であることは婚姻時の言動で明白です。
一方で自分より立場が上の男性に対しては、過剰なまでの敬語を使ったり、へつらったり。(ただし、自分の関係者に限る。ただし、裏では批判もする。)
今回の件では「医者」に対しての態度がそれでした。
結婚当初のモラハラ暴力に対して、私は反論反発したことはありません。
意見を言うことすらできない性格でした。そんな性格だったからタゲられたのだろう。結婚時元夫曰く「いつも伏し目がちなところが良かった」w
そんな私は
「あまりにも理不尽だ・・・」と思い悩んでは、ひたすら眠れない夜を過ごすしかありませんでした。
そもそも「モラハラ」「DV」という概念も言葉もなかった時代ですし・・・
両親にも話したことはありません。
親にこそ言えないものです。いじめと同じで。
父は元夫の事を「いい男だ」と言っていました。
元夫の頼む諸々の援助も快くやってくれていました。
最初の頃は私を通じていたのですが、そのうち私に何の相談もなく
直に頼みごとをするようになりました。
何でもやってくれる父の事を、自分のステータスだと、(モラ夫あるある)
自分のためにやってくれていると(自己愛あるある)
思うようになったのかもしれません。
その父は10年以上前に亡くなりました。
ずっと良好な関係だった母が、過去に元夫を怒鳴ったことがあります。
元夫が長男の学費を払わなかった時です。
その母は現在93歳、要介護3。今、元夫の記憶はなくなりました。
私達が籍を抜いていることも知りません。
もし、父が生きていて、母に記憶があったなら、
再会してからの元夫の私に対する態度は絶対に違っていたと思います。
婚姻時には「お前の両親の老後は俺が見る」とまで言っていたのに、
再会して、父の遺影写真を見せた時は写真に向かって
茶化すような事を言って薄ら笑いを浮かべた。
母の介護状況を知らせても動画を送っても、
避けているかのように一言も話題にもしませんでした。
父が亡くなり媚びを売る必要もなくなったから、郵送で簡単に離婚成立して、母が認知症になって・・・もう、私の実家は自分に何の利益ももたらさなくなったからだと思います。(自己愛性モラあるある)
長男の病気発症で、
離婚しているとはいえ、親だから当然協力し合っていくものと思い、
真剣に相談しているのに、
私に対して敵意があるとしか思えない言動でした。
長男の回復の願いを込めて託した埼玉Hクリニックの紹介状を、福岡のO病院に故意に提出していなかった。未だに所在も明らかにしていない。
長男の治療に不利になることなのに、医者に対しては体裁ばかりを取り繕って、遺伝要因が高い病気と承知していながら自分の受診歴、処方薬はひたすら隠していた。
遠いのをいいことに嘘ばかりついていた。ほとんどばれたけどw
間違った考え方の非は絶対に認めず
長男の病気回復を考えるよりも、
目の前で血を吐くまで悪化しても、
私(モラターゲット)を否定することに一生懸命だったのだから、
恐ろしすぎた。
表面上は何度も定型文の反省謝罪を繰り返していた。
↓全部別の日に送ってきたライン↓w
↑実際会ったら土下座謝罪は拒否しましたww↑
↑認証手続きした誓約書の第三条。私はこれ以上の確約手段はないと思っていた・・・
なかったかのように破りましたwww↑
↑誓約書のまえがき部分↑【俺とお前は対等じゃないんだ】が昔の口癖。
「協力」=「対等」?だから嫌だったのかもw
裏では批判や数々の陰湿な嫌がらせをしていた。
→長男の回復のために、自分で手続きした認証誓約書を「なにが誓約書だ」と否定してすべてを破って、違約金支払いは取引先の書類を捏造までして逃れようと画策した。もう完全アウトでしょう。こんなことする人間を(父親として先生として)「そんな人には見えない。まともです。」と
思う人がいるなら連れてこい!w
最初から間に男性に入ってもらっていたら状況は変わっていたかもしれませんが、私は女ばかりの姉妹なので間に入ってくれる男性が
周りにいませんでした。居住地も埼玉と福岡なので向こうに知人もいなくて、いろいろと難しかったです。 #NPD被害者の会 #SOS
(イラスト:次男)
TT殿、See you in 福岡!
1対1の時だけ!私にだけ!あれこれ言ってくるのは卑怯です!
男性の、身内以外の第三者のいる所でお願いします。
何度も言っていますが、私は貴殿が定めた「博多公証役場2020.12.22第123号認証誓約書」「2022.8.11取り決め書と2022.8.12合意書」に従って事務的に法的に進めているだけです。(※尚、取り決め書合意書は会社間の問題なので、スタッフの皆様及びその関係者様とも共有しておいてください。5.8通知済)
何度も言っていますが、
「会社が○○なので~違約金は払えませ~ん」とか、
「お前もおかしいよ~」の訴えは、私に言ってくるのではなく、
確たる証拠を持って、裁判所で、具体的に主張してください。
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福岡での対面は、誓約書等の取り決め事項に基づいて、1,2,のみを行います。
※飲酒していない状態でご対応お願いします。
※どうか逆切れしないでくださいm(__)m
1,明らかになっていないことのすべての事実確認。
2,行政書士からの通知を十分に理解し、入れていただいた念書「接見禁止」を一生守ってもらう確約が取れましたら終わります。
ヤマト運輸宅急便で対面時の資料発送しました(4.25着)
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・質問状(参考資料1枚)
・訪問でやること聞くこと詳細
・電話番号、メールアドレスリスト
・ブログ本第三弾(別冊)1冊
※訪問時に返却してください。
次男も一緒に伺います。