数日前の約束では、16日長男と二人で新幹線に乗って
東京に向かっているはずでした・・・
飲酒肯定の父親と共に博多に行ったのが2020.11.7。
父親に「もう一生優一と一緒に酒は飲まない」と誓わせた頃からか、
長男は元義理姉&父親との同居から逃れたいようなことを言ってくるようになった。
「親父&叔母さんは断酒しろ、働けという」
「GPSが付けられているんかと思うくらい叔母さんは追ってきて監視をする。」と・・・
そして2021.8.12、5回目の入院を終えた後は、元義理姉&父親の元へは戻らず
ホテル暮らしを始めたようだ。
「ホテル暮らしは心的平穏のため」「快適。3か月で行政書士の資格取ったる!」「9月末まで父宅には行かないつもり。」
ホテル一人暮らしで誰にも邪魔されずに飲酒したかったのも根底にあっただろう。やっぱり4日目くらいにはラインは意味不明になり、
行政書士資格取る取る詐欺は何回目?また立ち消えになった・・・
そして転倒して目を強打したとかで、1週間で父親&元義理姉の家に戻った。
それからは「お母さん来た時に一緒に帰る」「やっぱり帰らない」
「もうここでの入院は絶対無理」「どこか他の所に行くかも。放浪するかも。」
など言う事が一日でころころ変わった。
「自分が帰るところは家。お母さんと一緒に住む。」と何度も言っていたのに、
ここ数か月の翻しには私の心もまたどん底に落とされた。
父親も姉の所に居候するのをやめ、アパートを借りて出て行った。
長男は最初父親とは住まないと言っていたが、結局父親の所に行ったようだ。
私は埼玉で自宅兼店舗の自営業なので1日中家にいる。
「優が帰って来てもお母さんは断酒は強要しないよ。監視もしない。ただ
優一がやることがある部屋と🐰セラピーの部屋を作っておくだけだよ。」
と言っておいたが、父親は平日は仕事に行くから昼間は長男ひとりで自由に酒を飲める環境だ。
「屋根があって一人で飲める場所」
まだまだそんな方を長男は選んだのじゃないかと私は思った。
【博多へ】
9月15日、私は長男のいる博多に向かいました。
一番の目的は、向こうの二人に任せているとらちが明かないので
会社の休職届のための診断書、保険の診断書を書いてもらうため、
主治医の先生にお会いするために通院に付き添うことです。
15日は一緒に過ごすために天神のホテルにツインの部屋を取っています。
「天神ならまかせとけ!」「バンクシー展行こう🎵」「行ってみたかったから稚加榮か氷川きよしの叔母の店おさえて、ガッチガチにお母さん天神接待計画立てる!」
博多に行く数日前に長男が言った言葉です。
でも会うと、接待計画は全くしておらず、言い訳しながら一番近い寿司屋に入ることに
なりました。店は酒類提供禁止となっています。
コンビニに寄ることがそわそわ気にかかる様子で、ホテルで飲む酒(20度×2個)を買ってホテルに戻りました。
接待計画ドタキャンは想定内でした(笑)台風が来るという事だったので、
もしかしたら天神に来ることさえもドタキャンするかも、と覚悟していましたので(笑)
伸ばしっぱなしの髪の毛とひげ・・・長男は以前のように泥酔することはなく落ち着いていたので、髪の毛をカットしてあげることにしました。
前々から言っていた進撃の巨人リヴァイ兵長風に(笑)
「天神でガッチガチのお母さん接待計画」はなかったけれど、
お寿司屋さんはおごってくれた事、髪の毛を切らせてくれた事が
私は「今の長男ができる精一杯の気遣い」だと思いました。
9月16日、朝起きると長男はなかなか体が動かない様子です。
カバンの中をのぞくと夕べコンビニで買った20度×2個以外の
赤いふたの空の容器が2個入っていました。おそらく25度です。
午後一で病院通院の付き添いです。行く前に20度を1本飲んでしまいました。
【通院・診察】
電車に乗る気力はないようでタクシーで行きました。
主治医は長男が博多に来て即、肝硬変と診断してくださった内科の先生です。
「肝臓はほんのすこ~ししかよくなってないよ。何度も同じこと繰り返してるからね」
「君は飲んでるとよくしゃべるからすぐわかる。でも言ってることは支離滅裂だよ。」
「あぁ、良かった。先生はちゃんとわかってくれていた。」
長男は飲んでも暴れるとか暴言を吐くとかは全くしないし、他人に対しては割としっか
り対応するので、重度のアルコール依存症と理解されないところがありました。
先生は保険や会社の書類に対しても、即わかってくれたので、
安心してもう3か月はこちらの病院にお任せすることにしました。
【会計を待つ待合室で・・・】
管理の厳しいこの病院で、何か月も何度も入院していた話をしていると
私は遠く離れた埼玉で、やりきれない辛い気持ちで過ごしたことを思い出し、
泣き出してしまいました。そんな私を見ても、長男はだんだん不機嫌で冷たい顔、
態度になっていきます。来るときに飲んだお酒が切れてきたのか・・・
会計が済むともう、ひとりでタクシーを呼んでそそくさと帰ってしまいました。
飲酒欲求を我慢できなくなっていたのでしょう。
遠くから初めて来た私に対して、もう気遣いも配慮もしてくれなくなっていました。
私は、長男が何か月も何回も入院した病院の周りをひとりでゆっくり歩いて見てから
東京行き新幹線に向かいました。
【帰りの新幹線の中で】
長男から電話が入りました。優しい長男に戻っていました。
優一「ぎゃーぎゃー泣いてたけど大丈夫?っていうのがひとつと、今度火曜日に採血してアウトだったら入院も考えるからって伝えたくて電話した。今どこ?」
本音は「それでいいと思ってる」は少し違う。
「それで仕方がない。そういう病気だから。」
「見放そう」「いや、母の愛で」とかいろいろ考えては悩んでいる私もまた・・・
悲しい葛藤の毎日なんだよ。
【翌日・帰ってから】